2010年5月30日日曜日

第22回「行きたいけど行けないとは?」

----
こんばんわ。うみほどコラムのうっくんです。
今日総会があって意外にコラムを楽しみにしている方が多くいらっしゃって
気合を入れなおさないといけないなということで、更新してみようと思います。
これからもちょいちょい更新していくの気長にまっててくださいね

さて今回のテーマですが

実は今日の総会でこのような話が出ていました。

その場でこうですよ!と言える立場ではなかったので

この場をお借りしてお答えできたらと思います。

しかしこの言葉を聞くと自分が不登校だったころを思い出しますね。

どんな風に思い出すかというと、

行けないことは判っているのに期待に答えようとしていたんですね

一番辛かった時期にこの「学校行きたいけど、行けない。」なんていうわけです。

体的にも、心的にも、行けないのは明白なわけですが

不安、迷い、親からの期待、行かなければならない、という思いから

自分の本当の意思と反対のようなことを言っていたのです。

だからそのような言葉を受け止めたときには

本当はその子が何を望んでいるのか?というのを感じ取ってあげてください。



というのが一般論

基本的にはこのような対応を取ることが大事だと思われます。

今回のケースは高校生でした。

中学生の時は、困難な状況におかれて不登校という選択をしたのだと思います。

今回高校生になって色々な問題がおきて本人が悩んでいると思います。

この色々な問題が、中学生の時に起こっていたら、

行くのか、行かないのかの判断の切り替えが、

本人の中で揺れることはあるに決まっていますが、それでも出来たのだと思います。
(行く、行かないの決断)

ココで大きなポイントがあるのです。

親が感じていないかもしれませんが、実は子どもは毎日成長しているのです。

だから今までだったら到底我慢できていなかったことも、

今の自分だったら、自分ががんばれば我慢できるのではないだろうか?

っておもってしまうんですね。

だから行きたいけど、行けないなんて言葉が強く出ているのではないだろうか?と

私は考えました。

行ったら行ったで、その世界は楽しいのだと思います。

その代わり、行ったら行ったで、それと同じかそれ以上の辛いことがあるんだと思います。

でもコレだけは言えます。

「行きたいけど、行けない」は

本質的には行きたくない。

ってことです。

本人の中に天秤があって、楽しさと辛さが混在し楽しさが強ければ

何も言わずに行っています。

なにか引っかかるものがあるからいけないんだと思います。

だからそんな言葉が出たときには、

子どもの言葉を信じることも大切ですが、

その一方で、子どもの行動からどのような気持ちでいるのか

周りの大人が敏感に感じ取ってあげることが大切でしょう。